当サイト運営者(自称)早期退職マスターの加藤光騎(かとうこーき)と申します。
北海道生まれ北海道育ち、現在は札幌市在住の生粋の『どさん子』です。
1965年(昭和40年)2月に北海道の地方都市で生まれ、高校までを地元で過ごし、その後親元を離れ大学浪人するために大都会札幌へ。
カンカンになって怒る両親をなんとか説き伏せ、ただただ札幌に(というかススキノに)いたいがために19歳から2年間札幌の専門学校に席を置くものの、学校には殆ど行かずススキノバイトと遊びに明け暮れる毎日でした。
道内で最初の社会人デビュー
専門学校卒業後も就職せずにプータロー状態を続けていたものの、このままではイケナイと思い、まずはツテを頼って札幌の小さな会社に21歳の夏に就職し念願の社会人デビュー。
私は『これでようやく夜の世界から日の当たる場所に出れた!!!』と順風満帆のつもりでしたが、就職先は道内の小さなビル管理会社だったので給料も安く、すぐにこんなハズじゃなかったのに...と途方に暮れる毎日。
それでもせっかく昼間の社会に出られたのだから、若いうちは修行・修行と自分に言い聞かせ『石の上にも三年』をモットーに勤め続けるものの、日々の不満は募るばかり。
最初の転職でようやく夢をつかんだかと...
幸い世相はバブル期の真っ只中1990年、私は高卒でしたが転職先がアッサリと決まり、全国大手企業の子会社のメーカー系工事管理会社の北海道営業所に無事中途採用されました。
ここでの待遇は、北海道の企業にはありえないほと良かったんですよ。
当時ではまだ少なかった完全週休二日制、朝7時前出勤時には自動的に朝食手当、昼ごはん手当は給料にて別途支給、夜7時以降の残業時には自動的に夕食手当がつくといった待遇で、しかも最初に貰った給料が手取りで25歳冬のボーナスを遥かに超えことに大いに喜んでいました。
そんなこんなで30歳になったとき、3つ年下の今の奥様と結婚し、その前の年に新居用にと35年ローンで買っていた札幌郊外の3LDKマンションで新婚生活をスタート。
でもですね...
そんな高待遇で勤め続けていると、それらが当たり前となってきまして。
そうなると不思議なもので、今までは考えもしなかった不満がいろいろと出てくるものなんですね。
『オレは優秀なんだからもっと給料貰ってもイイはずだ!』なーんて自分を過大評価したり、上司が無能に見えてきて鋭く批判したりして...
いま振り返って考えてみると、かなりイヤな部下だったでしょうねタブン。
当時の上司のみなさん本当にすいませんでした。
私の運命を変えた2つのできごと
そんなとき私に2つの出来事が起こります。
1つ目は後に良いことへと転換した奥様の就職にまつわる家庭の事、そしてもう一つは私の副業に端を発して最悪の結末となった知人の借金根保証人の事です。
そして41歳で初めての転勤辞令、しかも北海道を出て暮らしたことのない生粋のどさん子にとって最もハードルの高い、東京都心での初単身赴任生活となりました。
その後も赴任地を転々と移動させられ1年で2度配置換えされること2回、早期退職に応じるまでの単身赴任生活は6年半に及び、その間は5度の単身引越しを経験しました。
そんな47歳の夏のこと、青天の霹靂、まさに降って湧いたような早期退職の募集が行われたのです。
もともとは親会社だけで行われるハズだった早期退職の枠が、当時の新会長の意向で子会社・孫会社といったグループ会社まで拡大され、40歳以上の社員が対象になりました。
ですがその時私は、会社のことは確かにイヤだったけど、だからって辞めてまでヤッてみたいことなんて特にありませんでした。
なので
とさえ思っていました。
そして40歳以上の社員すべてに、きわめて儀式的に早期退職の募集要項資料が名指しで手渡されました。
『絶対に会社の策略にはハマってやるもんか!』
そう思いつつ、自らの早期退職支給金予定額を見たトキ...
『これだけまとまったお金があったら、会社を辞めて第二の人生に踏み出せるかも...』
ベラボウに高い金額が書いてあったわけではありません。
でもですね、その金額を見たトキに私の中で閃きというか、新しい自分のビジョンが天から突然降ってきたような、そんな衝撃を受けたのです、今考えてみても不思議なのですが。
それからというもの、仕事中や帰宅してから私の考えることは、どうやったら円満に早期退職できるか?ということばかり。
そんな思いがグルングルンと頭の中を駆け巡り続けていたんです。
幸い早期退職募集の応募期間は1ヶ月後から開始でしたので、この間に色んなことを考えました。
そして行動に移し、奥様の説得を試みたのです。
このへんのお話はまた記事内で詳細にお話します。
そして紆余曲折を経て47歳になった2015年10月末、円満に会社を早期退職。
第二の人生、セカンドライフ
札幌に帰ってきてからのことは、これから当ブログの記事にまとめてあります。
そして何故、北海道に戻ってきたとき、
札幌で再就職する道を選ばずにインターネットビジネスを選んだのか?
についてもお話しています。
まあ結論から言うと
と思ったのが47歳でインターネットビジネスに挑戦しようと思ったキッカケです。
でもそう思ったからこそ50歳になっても自分の小さな会社を持てたのですから、人生って不思議ですよね。
それもこれもすべては私の決断と、インターネットという環境があったからこそですし、アフィリエイトというシステムがあったから成立したものです。
インターネットで第二の人生セカンドライフを迎える幸せ
インターネットで自宅にいながらお金を稼ぐ!
なーんて他人の夢物語だと思っている人もたくさんいるでしょう。
でも私の場合はかなり時間はかかったものの、第二の人生(セカンドライフ)で、50歳となった2015年に3つの夢にまた一歩近づくことができました。

【インターネットアフィリエイトASPレントラックスの2015.07-08私の売上管理表切り抜き】
※私がインターネットで稼いだ道のりはコチラの記事、⇒早期退職は40代、そして50代でアフィリエイト報酬月153万円を稼いだ秘密で詳しく書いています。
このように普通のサラリーマンだった私にも出来たのです。
ですからあなたにだって絶対にできるはずですし、いくつになっても夢を諦ることはありません。
私の辿った早期退職後の第二の人生(セカンドライフ)が、あなたの道しるべとなれば幸いです。
