1965年2月、北海道生まれ。生粋のどさん子、現在61歳。
ススキノに溺れた10代、昼の世界へ這い上がった20代

北海道十勝に生まれ18歳まで育ち、大学進学を目指して上京した先は、大都会・札幌だった。
「これが大都会か……!」
浪人生として勉強するはずが、ススキノの魅力と魔法にどハマりし、パブのバイトに精を出しすぎて再受験に失敗。親にこっぴどく叱られながらも「札幌には居たい」という一心で大学進学を諦め、2年制の専門学校へ進んだ。
でも学校にもほとんど行かず、すっかり楽しくなってライフワークになりつつあったススキノと遊びに明け暮れる毎日。卒業後もなんとなく流れてプータローに。
「20歳でプータロー、思い描いていた人生と全然違う……」
さすがにこのままではイカンと悩み苦しみながら、21歳の夏、当時同棲していた彼女のお父上のコネをがっつり使って、札幌の小さなビル管理会社に正社員として就職。ようやく昼の世界に這い上がった。
とはいえ、職種的に給料はガチ安く、建物の清掃と警備ばかりの日々。
当時同棲していた彼女とは私が一番光り輝いていたススキノパブ男時代に付き合い同棲していたので、一般社会人、しかも底辺の、自慢のカラオケを歌わなくなった普通の男からは自然と別の男に乗り換えて去っていった。
それでもせっかく手に入れた憧れの昼間の生活、「石の上にも三年」と言い聞かせながら耐えていたが、4年目の冬のボーナス「総支給額19万円」を見た瞬間についに感情が爆発し、本気で転職を決意した。
24歳の出会いと、人生を変えた転職

その頃、運命の出会いがあった。彼女が去って1年後、24歳で当時社会人だった3歳年下の今の妻と出会い、付き合い始めた。
それもあって「このままではイカン」という思いがフツフツと湧き上がり、転職活動を開始。
道内企業4社受けてすべて内定を勝ち取るという絶好調ぶりで、最終的に一部上場住宅設備機器メーカーの北海道工事子会社への転職を決めた。バブル真っ只中の1990年のことだ。
転職先の待遇は破格だった。完全週休2日、各種食事手当、そして手取りが前職のボーナスをはるかに超える給料——「ようやく人並みの幸せをつかめた」と自画自賛した。
その後30歳で今の妻と結婚。新居用に買っていた札幌郊外のマンションで新婚生活をスタートさせ、仕事でもほどなく管理職となり順調にキャリアを重ねた。
「オレもようやく人並みの幸せをつかめたなあ…」と悦に入っていた。
ところが、そんな高待遇が当たり前になってくると、不思議なもので今まで考えもしなかった不満がいろいろと湧いてくる。
「オレは優秀なんだからもっと給料もらってもいいはずだ!」と自分を過大評価し、上司が無能に見えて直接批判したりして……。
今振り返ると、かなりイヤな部下だったと思う。
当時の上司の○○さん、本当にすいませんでした(笑)。
運命を変えた2つの事件
順調な出世とは裏腹に、40代になった私に「運命を変えた2つのできごと」が起きた。
1つ目は、妻の就職にまつわる話——これは後に良いことへと転換した出来事だ。詳しくは次のセクションで触れる。
2つ目は、副業に端を発した「友人の借金の根保証人」を引き受けてしまったこと。これが最悪の結末となった。「厄年ってこういうことか」と自分で失笑するほどのハプニング続き。
そしてこの2つの出来事が重なった結果、「栄転」とは名ばかりの北海道営業所からの追放が待っていた。
「えっ、地元採用100%だから転勤ナシってのが採用時の条件でしたよね?」
そう、抵抗してはみたものの、さまざまな理由をつけられ、40歳まで北海道を一度も出たことのない生粋のどさん子が、東京都心での初の単身赴任生活を命じられた。
その後も試練は続いた。
単身赴任生活は6年半、その間に本州内で5度の単身引越し、1年間で2度の配置換えが2回——まさにサラリーマン修行(地獄)の極みだった。
いま思えば、会社は私を辞めさせたかったのだろう。
でもそんな地獄とはウラハラに良いこともあるもので。
単身赴任で月2回本州から札幌の自宅に帰省することで、ANAスーパーフライヤーズステータスを獲得できたのだ。これは夫婦で旅行するのが大好きな夫婦にとってラウンジ利用ができるという福音でもあった。
人生、理不尽なことほど後から意味が出てくるものだ、それでも腐らずに続けていればイイこともあるんだと今は思っている。
妻が証券のプロになるまで
40代に差し掛かった頃、妻が涙ながらに打ち明けてきた。
「子どもを産むよりも、手に職を持って自立した人生を送りたい」
パートしか経験のない専業主婦だった妻の告白。当時管理職だった私は、全面的に応援することにした。夫婦で就職先を模索していたとき、新聞広告で大手証券会社のFA(ファイナンシャルアドバイザー)中途採用の募集を見つけた。
「これだ」と直感した。
妻は「私には無理かも」と躊躇したが、私はカンで「絶対イケる」と確信し、説得して受けさせた。私の管理職としてのスキルをふんだんに使ってアドバイスをし続け、5次審査にまで及ぶ面接を突破し、2002年秋——34歳の証券未経験専業主婦が社会人再デビューを果たした。
それから約10年、妻は証券による資産運用のプロへと成長した。後にコロナを機に会社の早期退職制度を利用してまとまった退職金を手にし、2022年に仕事を辞めて再び専業主婦に。
この妻の資産運用スキルが、後の私の早期退職生活を経済的に支えることになる。
まさに人生、どこでどうつながるかわからないものだ。
47歳、「天啓」が降りてきた朝

2012年の夏、会社から唐突に「早期退職の募集」の通知が届いた。
最初は「絶対騙されないぞ、辞めないぞ!」と身構えた。でも好奇心に負けて割増退職金の予定額をチラッと見た瞬間——頭からつま先まで「ビビビッ」と衝撃が走った。
瞬時にひらめいた。
「このまとまったお金を種銭に資産運用し、60歳まで手を付けずに、個人で月30万円くらい稼いで凌いでいければ、退職するほうが人生正解かも」
証券のプロである妻がいる。
お金の運用はすべて任せられる。
あとは自分が稼ぎを確保すればいい——そういう計算が一瞬で組み立てられたのだ。
これは「天啓」だったと今でも思っている。
2012年10月、仙台港からフェリーで北海道へ。47歳の新しい人生が始まった。
アフィリエイトで3500万円以上稼いで、一瞬で失って

退職後は独学でブログ・アフィリエイトの世界に飛び込んだ。
自宅で、一人で、自由な時間に、自分のペースで、自由にできる、パソコン1台あればできる今の自分には理想的な仕事だと思ったから。
最初は全くの素人。それでも試行錯誤を重ねながら続けていくうちに、50歳の頃には月収が会社員時代の給料を超えるようになった。
そして、数年で累計3500万円以上を稼いだ——これは素直にプチ自慢である(笑)。
ただ、当時アフィリエイトで稼いだお金はすべて自己投資と称して高額のコンサルに次から次へと入り、代わりにかなり高度なスキルを習得したつもりでいた。
つまり手元にお金は常になく、右から左へと流れていただけだった。
とはいえ、その勢いさながら50歳で1人会社で法人化した。経費をもっと合法的に使いたいと思って。笑
そんな「第二の人生、バラ色だ!」と思っていた2019年の春、Googleのアルゴリズム大変動が直撃。

一週間もたたずにアフィリエイト売上はほぼゼロになった。
それでも今まで培ったスキルを信じてアフィリエイトを続けたが、収益はじわじわと落ち続け、ついには月数千円まで落ち込んだ。
なので、2025年9月、60歳のタイミングで「合同会社コーキ」を自ら清算。
自宅で一人で作業していたので借金ナシ、個人の会社への貸付金のみ、清算後も手元にお金は残らなかった。
こうして私の13年間のインターネットビジネスに静かに幕を下ろした。
個人事業としては、正直に言えば失敗。
でも、会社を清算したとき、不思議な感覚があった。
早期退職を決めた瞬間に「60歳まで月30万円稼いで凌いでいければ……」とひらめいたことを、ふと思い出したのだ。
あの天啓の言葉通り、ちょうど60歳で幕を下ろした。偶然だろうか。
それとも、あの閃きの瞬間にすでに「60歳で終わる」という青写真が、自分の中のどこかに刻まれていたのだろうか。
人生とは不思議なものだ、とつくづく思った。
でも一つだけ言えるのは、アフィリエイトで一人で3500万円以上を稼いだという経験と自信は、誰にも奪えない財産として今でも胸の中にある。
ところが、不思議なことが起きていた

実は…会社の業績が傾いていくのと反比例するように、個人のお金がじわじわと増え始めていることに気がついたのだ。
早期退職で得た退職金を種銭に妻は着実に運用してくれていた。
同時にサラリーマン時代の401Kは、退職時350万円だったのが妻のテクで1100万円まで育っていて、60歳で現金化したときは自分でも驚いた。
ただ税金で90万円も持っていかれたのにはもっと驚いた。国って容赦ない笑。
さらに、全くの偶然がきっかけで親からの生前贈与という話が持ち上がった。弟もいるので家族みんなで集まって話し合い、円満に決まった経緯がある。
人生、思わぬところからありがたいことが起きるものだ。
60歳になったので権利発生の年金については、年170万くらいになる予定と通知が来ていた。47歳で早期退職したわりにはもらえるんだなと驚いたし、繰り上げ受給もできるけど、今はお金に困っていないので急いでいない。
妻も、結婚前のサラリーマン時代・専業主婦期間・証券会社勤務の分を合算すると、同じくらいの年金が入ってくるみたいで、夫婦合わせればかなりの安心感がある。
そして、妻の資産運用のおかげで、まるごと渡していた私の退職金はまるまる残っているという。運用のおかげで元本は減っていない状態らしい。
自由に使えるお小遣いも、なぜだか気づけば潤沢になっていた。
マンションローンはあと12年ほど残っているが、返済に苦労している感覚はまるでない。
逆に資産価値が上がっているのか、固定資産税が高いままで困るくらい。つまり、なにかに困って売却したとしても支払ってきたローン分はすべて回収できるほどで、価値のある買い物だったといえる。
「アフィリエイトで事業に失敗したのに、60歳でなぜかお金が増えている」——自分でも不思議で仕方がない。
何故かはわからないけど、私はすでに最高に幸せな小金持ちになっていたのだ。
「俺って今、メッチャ幸せだよね」という気づき

ネサラゲサラの記事を書き始めた頃、ふとこんなことを思った。
「大学にも行っていない。なのに運よく一部上場企業の子会社に転職できて、早期退職して、アフィリエイトも最終的には稼げなくなった私。でも俺って今、メッチャ幸せだよね……?」
誰にも雇われず、毎朝8時頃に自然と目が覚め、メールをチェックしたら一日は完全自由。
YouTube、大谷翔平のドジャース戦、Netflix、妻の手料理、週4のお酒。
夫婦で国内旅行をしては神社めぐりにいそしみ、ANAスーパーフライヤーズカードの恩恵を最大限に受けながら海外旅行を楽しみ、十勝の親戚と格安ゴルフラウンドをこなし、気が向いたら夫婦で道内の温泉巡りをする。
これが「失敗した人間」の生活か?と思う。
この気づきと感謝する心が生まれてから、さらにお金が回るようになってきた気がしている。
ご先祖さまや自分を取り巻くすべてへの感謝——引き寄せの法則でいえば、まさにその通りだと思う。
30代から40代にかけて縁があった日本神道の教えも、どこかでこの感覚とつながっている気がしている。
そして不思議なもので、自分がいま幸せだと本気で気づいたら、幸せがさらに増えていく。
信じられないかもしれないけれど、今の私はそれを身をもって体験している。
今の私の一日
毎朝目が覚めるまで寝て(といっても8時頃には自然と起床)、身支度を整えて自営業をしていた頃のクセでメールをチェックしたら、あとは完全自由。
YouTube・ドジャース観戦・Netflix・パソコン(今はほぼ趣味のブログ)。
妻が作ってくれる夕食を2人で食べながら、週4日はお酒を楽しむ。ビールから始まり、料理に合わせて赤ワイン・泡盛・ウイスキーへとハシゴするのが好きだ。お刺身には日本酒も欠かせない。
夫婦の趣味は旅行で、国内・海外問わず毎年2人で出かけている(そんな旅行記は別ブログ「夫婦たび」にて)。
2026年3月もバリ島サヌールに2週間滞在してきたし、また次の旅行先をあれこれ妄想しているのが、今一番楽しい時間かもしれない。
運動でいえば去年からゴルフを10年ぶりに再開し、今年も十勝の親戚とのラウンドに向けてスコアアップを画策中。
気が向いたら神社参拝、3ヶ月に1度は妻とマンションのカラオケルームで歌う。ススキノで鳴らした歌声も、今はすっかり家庭的になったものだ(笑)。
ちなみに、会社勤めだった頃の人とは一切連絡を取っていない、というか、自然とそうなった。
このブログで伝えたいこと
当初はアフィリエイトの成功体験を発信して、教材販売やコンサルをしようと思っていた。でも、それには失敗した。
だから今は、ただ正直に書く。
「早期退職したその後、14年間どうだったか」「お金の話、正直なところ」「仕事をやめたら逆に幸せになった話」「ネサラゲサラや引き寄せで変わった世界の見え方」「札幌での61歳の日常」——そういうことを、飾らずに発信していくブログです。
アドセンスでちょっとお小遣いになればいい、くらいの気持ちで続けています。だってもう、お金には困っていないので(笑)。
同じように会社を辞めた人、辞めようとしている人、人生の後半をどう生きるか考えている人——そんな人たちの「一つの答え」になれたら嬉しいです。
加藤コウ 2026年3月
セカドリ